東大院生経営「ネパール書店」

「書店」と銘打っているものの、この店にあるのは本ではありません。民族楽器と独特のリズム感の音楽、ちょっとコミカルで憎めない映画、スターバックスに負けないCafeや、見慣れない品揃えのギョウザセンター、旅行のエッセンスになるローカル情報…など、人生を深く愉しむ文化と、アイテムがつまっています。 温室育ちで図々しい店長が、アジアの最貧国で失敗挫折しながらも諦めずに奮闘する過程・時間を通して、アイテムをたっぷりとご用意する予定です。その品揃えの個性とセンスは、ぜひお越しいただきお確かめください。

謎に包まれるネパール王族大量殺人事件

かつて王様がいたネパールだが、不可解な事件で王族が皆殺しに殺される。特定の人物を除いては…。今尚謎のベールに包まれたこの事件の、不可解なポイントを5つ挙げ、その後に自由とはなんなのかということを考えさせられるって話。

 

 

 

f:id:neparuntaizaiki:20170718191844j:plainネパールには昔は王様がいました。それが、2001年に王様をはじめとする王族が定例会において大量に殺害されたことによって国の体制が変化したようです。この事件は今でも謎に包まれています。なぜなら、殺害実行犯とされているのは王様の息子、つまり皇太子だからです。しかし、事件の不自然さや矛盾、証拠の少なさのせいで、皇太子が真犯人なのかということが疑問視されています。また、定例会を欠席していた皇太子の弟が、事件後に王様に即位したために、皇太子の弟が仕掛けた策略なんではないかという噂も広がりました。そんな腑に落ちない事件を今回は紹介しようと思います。

王族が集まる非公開の晩餐会において、結婚に反対された皇太子は泥酔した状態で銃を発泡し、国王を含む王族9人を殺害します。直後、皇太子は王宮内の池で、自分の頭に銃で撃ち自殺をはかりました。皇太子は重体のまま新国王になりますが、その二日後に死んでしまいます。皇太子には1人弟がいて、その弟はその日ちょうど外出しており晩餐会を欠席していました。それで王族の中で殺害を逃れたのです。その弟は王制が終わる2008年まで王様として生き、ネパール最後の王様となりました。

この事件には不可解な点が多数存在しました。

①皇太子の検死の結果、泥酔していたとされる皇太子からはアルコールは検出されなかった点

②皇太子は右ききであるにもかかわらず、銃弾は左のこめかみから打たれていた点

③殺害に利用された武器は、4種類もの銃が使われた点

④皇太子の弟の家族だけが晩餐会に参加していたにも関わらず生存した点

⑤ネパールでは王が死ぬと、国をあげて葬儀をするが、それが急性かつ非公開で行われた点

⑥護衛担当の国軍が騒動に気がつかなかった点

などが挙げられます。

 

不可解な点や、不明な点は多数ありました。次第に、「新国王がその場にいた自分の息子に殺害させた」ものだと、ネパール国民は信じるようになったようです。新国王は民主化に反対で、反国家勢力のマオイストに対しても強硬な態度をしめしていました。しかし、国民からは疑いの目で見られ、信用も人気もなく、議会も全く機能しませんでした。内閣を側近で固めましたが、民主化運動が活発になり、国王としての権利を剥奪されました。追い討ちをかけるように、議会では王制廃止が決議されて、国王は対する形になって幕がおります。

 

ネパールの政治に大きく影響を与えたこの事件ですが、調べていている私も、調べれば調べるほど、わからなくなりました。皇太子が自殺したり、何者かの証拠隠滅がされているせいで、決定打がないのです。とにかく、多くの見えないしがらみが起こした事件のようです。

ただ、この事件で個人的に印象に残ったことが2点あります。

1点目は、皇太子は家柄のせいで結婚を強く反対されていたという点です。皇太子の母親(王妃)は、皇太子の彼女の家柄と敵対関係にある家柄出身だったということです。母親目線からすると「あんたの彼女は、うちの家系の敵対関係にある家の出身だから、絶対だめよ」って感じですかね。この王妃も、自分に邪魔な家臣などを殺害してのし上がったという情報もあって、この事件の背景には、人間の醜い部分が潜んでいたのかもしれないなと思いました。日本でも少ないかもしれませんが、こうゆうことってまだあるんじゃないかなーと思いました。家柄とかスペックとかじゃなくて、人間の部分をみて判断される社会にならないといけないなと思います。自分も見た目やスペックで、他人を判断してしまうことが多いので反省です。その人の人間的な部分に、積極的に触れていきたいなと思います。

2点目は、国民が民主化の流れに乗り切れていなかったという点です。どうゆうことかというと、新国王が即位して間も無く、1人の男が雑誌に新国王に疑いをかけた文章を公開します。すぐ、その男と雑誌の編集長が捕まってしまいます。全国民はここで諦めるんですね。しかし、すぐに海外機関から2人を釈放するように訴えられるわけです。なぜか政府はすんなり2人を解放するわけですね。なぜかというと、殺された国王による民主化の流れで、ネパールには言論の自由と報道の自由が憲法で新たに制定されていたのです。

元国王、やるなーって感じなんですが、国民は諦めていたので、釈放されたことについてかなりびっくりしたようです。そんな自由が自分たちに与えられていた、ということを、国民全体は知らなかったということですよね。おそるべしネパール。日本人、特に若者は政治や法律に関して興味を持っていない層ですが、もっと自分の国に関与していかないと、ネパールの国民みたいに、突然のことで、びっくりしちゃうみたいなことが起こるんじゃないかと思います。これからの日本、これからの世界は自分たちで造っていくんだという気持ちを持って、積極的に未来に関わっていきたいですね。反省して、日々精進します。

 

書きたいことはまだまだあるのですが、この事件謎が多すぎ、ツッコミどころがありすぎで、頭がごちゃごちゃになりそうなので今回はここまで。また、何かあったら書きます。